さて、このシリーズ(笑)もおかげさまで3回目となりました。
前回はアルバム『明日に架ける橋』製作時のサイモンさんとガーファンクルさんのゴタゴタのあたりを「ポール・サイモン 音楽と人生を語る」(DU BOOKS)を斜め読みしながら触れてきました。
この話、まだ少し続きますのでよろしくお願いいたします。
ごたごたの中で傑作を作りあげるのは、我らがビートルズの専売特許かと思いきや、サイモン&ガーファンクルさんも負けておりません。
アルバム『明日に架ける橋』はサイモン&ガーファンクル最大のヒットアルバムとなりました。
1970年発売です。ビートルズさんと示し合わせたのでしょうか(笑)。ごたごたの中でどっちがうまくアルバム作れるか、とか(笑)。
この『明日の架ける橋』、あちこちのヒット・チャートで1位を獲得しました。
アメリカで10週にわたりビルボード1位、イギリスでは初登場から13週連続で1位、通算33週に渡って1位を獲得するという大ヒット。
日本でも、ちゃっかり7週連続でオリコンLPチャートの1位となったそうです。
すごいじゃないですか。
売れただけではなく、例によって1971年のグラミー賞では、最優秀アルバム賞と最優秀録音賞を獲得し、シングル「明日に架ける橋」での受賞も含めると、6部門の受賞となったとのこと。
すごいじゃないですか。
ちなみにビートルズさんの『アビーロード』は1970年に最優秀アルバム賞にノミネートされたものの、『血と汗と涙』とかいう今となってはなんだかよくわからないやつに最優秀アルバム賞を持ってかれてます(笑)。
どうせだったら『明日に架ける橋』に持っていかれたほうがよかったよねぇ、ポール(マッカートニー)(笑)。
『明日に架ける橋』、これだけの名盤ですから当然業界評価も高く、『ローリング・ストーン』誌が2003年に選出したオールタイム・グレイテスト・アルバム500では51位という栄光を手にしてます。
が、ここで気になりますよね。
ん?51位?サイモン&ガーファンクルさんの最高傑作だろうに。そんなものか?と(笑)。
じゃあトップはなんなんだと(笑)。
はい、お察しのとおりトップはビートルズさんの『サージェント・ペパーズ』です。
ちなみにビートルズさん、『サージェント』に加え、トップ10に『リボルバー』『ラバー・ソウル』『ホワイト・アルバム』の計4枚をぶち込んでます(笑)。
いやはや圧勝です。勝負になりません(笑)。
「ヘイ・ジュード」では「ミセス・ロビンソン」にしてやられましたが、これでポール(マッカートニー)もすっきりしたのではないでしょうか(笑)。
でもまあ、こういうので熱くなるのは外野(はい、ワタクシです)ばかりで、当人はまるで気にしてないのでしょうがね(笑)。
いずれにしてもアルバム『明日に架ける橋』は大傑作です。
アルバム収録曲もそれぞれいいのですが、なんといってもシングル「明日に架ける橋」、これですね。これがなかったら、グラミーも何もなかったのではと思います。
で、そのシングル「明日に架ける橋」ですが、ポール・サイモンさん、できたてのほやほや段階で
「ぼくなりの〈イエスタデイ〉が書けたと思う」
と知り合いに言っていたそうです。
ビートルズを引き合いに出してくれてうれしいですが、「イエスタデイ」ですか?
あれ?ジョン好きじゃなかったっけ?「イン・マイ・ライフ」とかじゃないんだ(笑)。
こういうときに引き合いにだされる「イエスタデイ」、やはり別格なんでしょうね。
のちに少年時代のヒーロー、エルヴィスさんにも歌っていただく「明日に架ける橋」ですから、引き合いに出すなら「イエスタデイ」でないと人にその凄さが伝わらない、と思ったのでしょうか(笑)。
ともあれ「イエスタデイ」級の「明日に架ける橋」、書くのにさぞかし苦労したのでしょうか。
ポール・サイモンさん曰く「あっという間だった」(同)そうです(笑)。
なんか面白くないですね(笑)。
「曲の骨子は20分くらいでできたし、最初のふたつのヴァースも2時間以下で書いた」(同)。
マジで(笑)?
「ぼくは『いつも書いている曲よりいいぞ』と思った。ぼくの身体を流れていくような感じだった。ある意味、自分の曲とすら呼べないような気もするけど、でもやっぱり、ほかのだれのものでもない。出所はわからないけど、並はずれた曲なのはわかっていた。あまりにも並はずれていて、中毒性のあるなにかが化学反応で生まれたというか。そういうことがあるから、一生曲を書いていこうという気になれるんだ――またあの場所に行き着こうとしてね」(同)。
なるほど。そう、似てますね。あれに(笑)。
ポール(マッカートニー)が語る、「朝起きたらできていた」「だれかほかの人の曲かと思った」という「イエスタデイ」(笑)。
だから「ぼくなりの〈イエスタデイ〉」なのか。勝手ながら納得ですね!
さて、その「あっという間にできた」というできたてほやほやの「明日に架ける橋」、このひとなくしてはサイモン&ガーファンクルはないというプロデューサー、エンジニアのロイ・ハリーさんもこんなこと言ってます。
「ポールがギターとあのふたつのヴァースを携えて、コントロールルームに入ってきたんだ。わたしは思わず『こりゃすごい』と口走っていた」「今もあのテープが残っていたら、と思うよ。忘れないでほしいのは、これが〈ボクサー〉のすぐあとだったことだ。圧倒的にすばらしい曲が2曲-たてつづけにね」。(同)
名曲をたてつづけ!
まさにポール(マッカートニー)のお家芸ではありますが、サイモンさんもノッてたんですね(笑)。
しかし、そんなにびっくりしたそのテープ、残ってないのかい(笑)!
ビートルズさんはなんだかよくわからないものまでたくさん残ってるぞ!それでしつこく商売してるぞ(笑)。
まあ、残ってない、と言われればそれまでですが、聴いてみたかったですね~。
ところが、その高揚感もアート・ガーファンクルさんのことを思うと雲行きが怪しくなってきます。
ロイ・ハリーさん曰く
「アーティーはしょうもない映画スターになりたくて、わたしたちのアルバムに背を向けた」
「わたしは裏切られた気分だった。たぶんポールも最初は腹を立てていたと思う。だが同時に悲しい気持ちもあったんじゃないかな。それは彼が書いていた曲にもあらわれている」。(同)
ロイさん、お気持ちはわかりますがアーティーは「しょうもない映画スターになりたくて」なんて言わないでくださいよ(笑)。
ガーファンクルさんだって、映画俳優に色気を出したりして脳天気にみえるかもしれませんが、‘天使の歌声’なりの深~い悩みがあったんですから。ねえ。
できたてほやほやでもすごい「明日に架ける橋」、でもホントの名曲になっていくのはここからです。
まずは、だれが歌うのか。これ大事ですよね。
ジョンも「オー!ダーリン」は自分が歌いたかった、的なことをおっしゃっていたようですが、やはりポール(マッカートニー)のシャウトでないと、というのはありますよね(断言しときます)。そもそもポール(マッカートニー)作だし(笑)
で、「明日に架ける橋」ですが、なんと「サイモンは最初からリード・シンガーにガーファンクルをイメージしていたが、当のアートは返事を渋った」(同)そうです。
なんで(笑)?
アート・ガーファンクルさんは言います。
「彼[ポール]はあの曲が自分の最高傑作だと思っていた」
「ぼくはたしかにすばらしい曲だけど、最高傑作と呼べるほどじゃないと思っていた」
(同)。
やはりサイモン+ロイ軍団とガーファンクルさんは微妙に感覚が違うのでしょうか。
うがってみれば、できたてほやほやの「明日に架ける橋」はさほどでもなかったが、ガーファンクルさんのアイデアと‘天使の歌声’によって世紀の大傑作になったのだ、つまりはおれのおかげだ、という意味も入ってますかね(笑)。
しかし、ここですよ、ここ。ビートルズさんにはあまりなさそうなサイモン&ガーファンクルさんのややこしさ(笑)。
ポール(マッカートニー)が「イエスタデイ」書いたとき、「これはいい、ジョンに歌ってもらおう」とは思わなかったのはないでしょうか(笑)。
ほかの曲でリンゴに向けてはあったかもしれませんが(笑)。
でもサイモンさんは違います。
そもそも「ぼくなりの〈イエスタデイ〉」ですよね。しかも「ぼくは、依然として自分で曲を書き、自分でうたう男でいられる。アーティーは必要ない」と言ってるではありませんか(笑)。
しかし、サイモンさんは「これはアートに歌ってもらおう」と思います。自分が自分がというより、いかに曲として完成させるかを優先しているのですね。
なんだかんだとくさしながらのアートへの信頼、サイモンさん、実にいいやつです(笑)。
もちろんガーファンクルさんも一世一代のボーカルを披露するわけで、このあたりのややこしい ‘呼吸’ がサイモン&ガーファンクルの魅力というか、マジックなのでしょうか(笑)。
結局、ガーファンクルさんは歌うことにしました(笑)。次はアレンジです。
「今度はこの曲をピアノ用にアレンジする任務がラリー・ネクテルの託された。それはたやすい仕事ではなかった。サイモンはゴスペル的な感触を求めつつも、『ゴスペル臭が強すぎるのは駄目だ』と指示していた。ネクテルはほぼ2日がかりでさまざまなアレンジをためし、何十ものテイクをへて、ようやくサイモンを満足させることができた。」。(同)
イントロから引きこまれる、あのピアノですね。サイモンさんのダメ出し、相当きつかったと思います(笑)。
しかし2日がかり、というと一見すごく時間かかったような感じがしますが、ゼロからですよ。しかもなにかと細かいところにやたらとうるさく面倒なサイモンさんを納得させなきゃならない(笑)。
これに2日というは、‘たった2日?ホント?’としか言えません(笑)。
ピアノ伴奏がキマり、さらに作業が進みます。
「ネクテルのアレンジで曲は壮大さを増し、ガーファンクルとハリーは3番目のヴァースが必要なのではと考えはじめた」。(同)
そう、この段階では2番までだったのですね。
ガーファンクルさん、ここからさらに盛り上げるよう注文つけてきましたね(笑)。
「そこでサイモンとガーファンクルは、この曲を劇的に盛り上げてくれる要素を頭の中でイメージした-以前から讃歎していたフィル・スペクターのプロデュースするライチャス・ブラザーズのレコード、たとえば終盤までは淡々と進み、だがそこでスペクターが急にインストゥルメンタルの重厚なドラマを展開させる〈ふられた気持ち(You’ve Lost That Lovin’ Feelin’)〉のような要素を。サイモンはこの挑戦を受けて立ち、その場で新しいヴァースを書いた。彼は10分とかからずに、3番目のヴァースを完成させた」。(同)
でました、早わざ!「3番が必要だ」でその場で10分(笑)。
ビートルズさんもそうですが、このひとたち、とにかく仕事が早い(笑)。
どれだけの‘生産性’なんでしょうか。
「仕事ができる=目の前の仕事をさっさと片付ける」とよく言われますが、まさにその通り(笑)。どんどん片付けるので、優先順位もなにもありません。うらやましい限りです(笑)。
ここからガーファンクルさんのボーカルの出番です。サクッと歌っているようですが相当苦労したと言ってます。
そんなこんなで、3番もでき、最後に盛り上がり、‘天使の歌声’が響き渡るあの「明日に架ける橋」がめでたくできあがりました。
できたてほやほやの段階から、かなり変わったのだと推察されますが、「テープが残ってない」のでなんともわかりません(笑)。
さあ、「明日に架ける橋」、すったもんだの末うまくできたので、次はお披露目です。
が、ここでまたひと悶着起こすのがサイモン&ガーファンクルさんです(笑)。
当時のツアーで当然「明日に架ける橋」は演奏します。
大喝采です。当然です。
が、ここに問題がでました(笑)。
「これはガーファンクルがソロでうたう曲だったため、サイモンは舞台袖に引っ込み、スポットライトを浴びていたのは、ガーファンクルとピアニストのネクテルだけだったからだ」。(同)
ソロで歌う?いやいや、3番はハモってるでしょ(笑)。
でも実際、サイモンさん引っ込んでます。
1972年にはサイモンさんも歌ったようですし、2000年代の再結成コンサートでは、1番ガーファンクルさん、2番サイモンさん、3番はお二人ではじめて最後の締めはガーファンクルさん、と仲良くやってますので、当時はなんでソロだったのか、よくわかりません(笑)。
「盛大な拍手がはじまると、ガーファンクルはおじぎをして観客に感謝し、ネクテルを紹介したが、サイモンについてはなにも言わなかった」「彼をステージに呼び出すことはもちろん、この曲の作者がサイモンであることすら口にしなかった」。(同)
いやあ、見事にやってくれますねぇ、ガーファンクルさん(笑)。
こうまではっきりしてくれるとうれしくなりますね(笑)。
サイモンさんのお母上もこの仕打ちには憤慨しているようで、こう言ってます。
「ポールは一世一代の傑作を書いたのに、[アートには]彼の功績を認める度量すらなかったんです。『うたったのはぼくだし、みんなが愛してくれたのもぼくだ。でもその曲を書いたのは、ここにいる男なんだ』。ついぞ、そんな言葉は聞けませんでした」。(同)
そうだそうだ、とんでもない。ひどいやつだな、ガーファンクルは!と怒りたくもなりますが、こんなこともあったようですよ。
まだトム&ジェリーと名乗っていたころ、サイモンさんはガーファンクルさんに黙ってソロのレコードを出す契約をし、これにはガーファンクルさん、激しく打ちのめされたそうです。
ここで、ご両人ともまだ ‘こども’ でしたので、親御さんが乗りだしてきました。
こうなるとろくなことにならないのはいつでもどこでも同じなのでしょうか(笑)。
アートの父親はサイモンの父親に
「ポールがアート以外の人間とうたったり、レコーディングしたりすることを禁じるふたつめの契約書にサインさせようとした」(同)
そうです。
まあ、わからないでもありませんね。しょせんこどものいざこざですから、まあとりあえずの約束ということでひとつ、みたいな感じでしょうかね。
しかし、サイモンさんの親父さん、無用の本気モードでこう返しました。
「わたしを馬鹿だと思っているのか?なぜそんな真似をする必要がある?ポールは一生、おたくの息子の面倒を見つづけるべきだと言いたいのか?もしかしたらポールはひとりのほうが、もっとうまくやれるかもしれないんだ。むろん、そんなものにサインするつもりは毛頭ない!」。(同)
おいおい、ですね(笑)。撃たれてもおかしくありません(笑)。
親子2代にわたって軽くみられてる感満載のガーファンクルさん。
こういうの、あと引きますよね、多分。
やはり言っていいことと悪いことはあるよね、と(笑)。
で、一世一代の「明日に架ける橋」でのアートの仕返し?にサイモンさんは意気消沈、「あれはぼくの曲なのに」「ステージにも出られないなんて」。(同)
なんだかサイモンさん気の毒ですが、ビミョーに疑問がわきますよね。
「おれも歌うぜ、レコードどおりな」って軽く言えばいいのではないでしょうか(笑)。
ガーファンクルさん含めだれも反対できないと思うのですが(笑)。
不思議ですが、言えない言わないで考えこんじゃうところがサイモンさんでしょうか(笑)。
『明日に架ける橋』の絶頂の中、サイモン&ガーファンクルはいつの間にか解散、ということになってしまいます。
これについて、ガーファンクルさん、みんなの気持ちを代弁してこう言ってます。
「僕はポール・サイモンを批判することを喋りたいわけじゃない。けど、栄光を楽しまずに、代わりにそこから逃げ出すなんて、あまりにも強情なわけだよね。狂っているよ」。(NME Japan)
狂ってるそうです(笑)!
しかし、なんだかんだいいつつ、サイモン&ガーファンクルは何度も再結成(笑)して、来日もしてくれました。
生のサイモン&ガーファンクルは最高でした。
返す返す、公の場で並んで演奏するジョンとポール(マッカートニー)、みたかったですねぇ(涙)。
まだまだいろいろあると思いますが、きりがないのでとりあえずこの辺にしておきます(笑)。
で、「ポール・サイモンとビートルズ」というお題ですので、一番笑えるセリフで締めたいかなと(笑)。
ジョージ・ハリスンが、ガーファンクルさんに。
「僕にとっての僕んところのポールは、君にとっての君んとこのポールなんだ」(NME Japan)
(おわり)
筆者について
さいもん(A)・ギター担当。ビートルズ大好き歴40年!1963年生まれ さそり座。近頃、忘れっぽいことがもっぱらの悩み。
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